良く使う金槌(カナヅチ)ですが、自分が好きなのが『だるま玄翁』です!
色々な金槌が有りますが、だるま型をした物が可愛くてこれにしてます。
でも、なぜ金槌(かなづち)を玄翁(げんのう)と呼ぶのか不思議に思い調べてみました。そしたら面白い話なのでご紹介します。
昔の事です。
下野つけの国(今の栃木県)那須野が原に、世にも不思議な殺生石(せっしょうせき)という石がありました。
なんでも、「古狐(ふるぎつね)が化たそうな」と里人は口々に噂をしてたそうです。
殺生石は、広い十里四方もある野原に、昼夜となく毒気をはいて、人や家畜を殺すほどの恐しさであったそうです。
噂を聞いた大和尚(だいおしょう)は、何とかしてこれを散らして人々を救わなければと思ったそうです。
だけど、自分は年をとっているので、兄弟子に悪魔退散の秘法を授けたのでした。
そこにたまたま訪れた曹洞宗の玄翁和尚が、自分はさておき、兄弟子にだけ秘法を伝えるのが気にくわず、二人の話を盗み聞きしたのです。
玄翁和尚は兄弟子に負けてなるものかと、野を越え、山を越え、悪魔を追い払う「魔呪品(まじゅほん)」という、お経を唱えながら、殺生石に近づいていったのです。
あたりには、人影もなく、ぞっとするようなころでした。
玄翁和尚は、殺生石に近づくや、隠し持っていた大きい金槌で大石を叩き壊しました。
すると、さっと、するどい光が、稲妻のように、空に飛び散り、大雨が降り出したのです。
草も木も美しく大雨に洗われ、那須野が原にたちこめていた毒気も、跡形も無く、消え去って、つやつやと緑に輝きだしたそうです!
玄翁和尚は、魔呪品(まじゅほん)の効き目と自分の腕によって、毒を払い除けたと、得意な顔をして寺に戻ったそうです。
大和尚はこれを聞いて、兄弟子をさておき、勝手な振る舞いをしたと、ひどく腹を立て、とうとう玄翁和尚を寺から追い出だしたのでした。
その後、玄翁和尚は南伊豆町にある玄通寺を開山します。
ますます修行に励んだそうです。
今 、大工や石屋の使う玄翁の名は、この勇敢な玄翁和尚の名をとって玄翁と名付けられたそうです!